クピドの矢
「ふぅ…………」
今日も長い一日を終え、蓮は強張った筋肉をほぐすように肩をまわした。
ハードスケジュールには慣れっこだが、それでもここ最近は特にきつかったため、流石に疲労が溜まってしまったようだ。
しかし明日は久しぶりの丸一日のオフ。
ラブミー部への依頼と称してかの少女のスケジュールも押さえてある。
今のところ微妙な関係の二人だが、少しでも一緒に過ごしたいという想いは同じはず。
依頼内容が『蓮のオフに付き合う』だとわかれば多少むくれるだろうが、最終的には笑ってくれるだろう。
驚くキョーコが見たくて、ついまた内緒にしてしまっている蓮なのだった。
社との確認を終え、蓮は休憩スペースのソファに腰を落ち着けていた。
同じくまだ事務所にいるらしいキョーコに連絡をしようと蓮は携帯を手に取る。
丁度そのとき、廊下のはるか先の会議室の扉が開いた。
打ち合わせを終えたのであろう人々に紛れたキョーコの姿を認め、蓮はそのまま待つことにする。
マネージャーの真理子と二言三言言葉を交わし、他に用事があるらしい真理子と別れるキョーコ。
そのキョーコの肩を叩き、何やら話し掛けている男がいる。
話し掛けられたキョーコは最初は普通に話をしている様だったが、やがて困ったような素振りを見せ始めた。
しかし相手に押し切られたようで、結局ためらいがちに男の後をついて行く。
蓮が待っているのとは反対の方向。
……人気の少ない方向へ。
「……………?」
眉を顰めそれを見ていた蓮だったが、やがて立ち上がってその後を追った。
男について辿り着いたのは、人気のない非常階段の踊り場。
今度新たに番組で共演することになった、同じ事務所の若手タレント。
かなり人気のあるタレントらしいが、妙に馴れ馴れしいその男がキョーコは苦手だった。
そうかと言ってこれから一緒に仕事をする相手。
『どうしても二人で話がしたい』と言われて、無碍に断ることも出来なかったのだ。
「京子ちゃん。俺が何を言いたいか……わかるよね?」
それなりに整った顔だが、その表情はあまり気持ちの良いものではなかった。
「いえ……あの、お話って、なんでしょうか?」
不安そうな面持ちで問い返すキョーコに男は言った。
「だからさ……せっかく共演するんだし、俺たち、付き合わない?」
言われたキョーコは一瞬理解が出来なかった。
せっかく?共演するんだし?……付き合わない?
固まってしまったキョーコを意にも介さず男は言葉を続けた。
「いや本当は、前から気になってたんだ、京子ちゃんのこと。可愛いし、清楚だし……
それに俺たちが付き合ってる、って噂になれば、番組の視聴率も上がるだろうしさ、一石二鳥だと思わない?」
やや下卑た笑みを浮かべて近寄る男から離れるように後退り、キョーコは言った。
「そ、そんなの困ります!わ、私今は誰ともお付き合いするつもりはありませんからっ!!」
万が一交際を迫られた場合。
他に好きな人がいるとか、付き合っている人がいるなどとは答えてはいけない。
スキャンダルは御法度なのだという言い方で断ること。
マネージャーの真理子からそう言い含められていたキョーコは、取り敢えず模範的な回答をした。
……それでなくともこんな輩と付き合う気など毛頭無いが。
スキャンダルで知名度を上げようなんて、外道もいいところだ。
きっぱりと拒否されて、男の顔が不満そうに歪む。
「そんな事言って、いいの…?この業界、先輩の言うことは絶対なんだよ?」
いつの間にか逃げ場の無い壁際に追い詰められ、腕を掴まれる。
その感触に、キョーコはぞっとした。
完全に力任せ。
キョーコの意志などこれっぽっちも構っていない。
蓮に触れられる時とは全く違う。
感じるのは、嫌悪感のみ。
「いやっ……!離してっ……!!」
振りほどこうともがくが、所詮女の力ではかなわない。
(助けてっ…………敦賀さ……!)
とその時。
「その手を離せ」
地の底から這い上がるような、ドスの利いた声。
驚いて力の緩んだ男の手を振り払い、キョーコは声の主に走り寄った。
「敦賀さん……っ!!」
心の中で助けを求めた相手が現れたことに驚く余裕も無く、キョーコは蓮にしがみついた。
キョーコを背後に隠すように立ち、目の前の下衆を睨み付ける蓮。
立ち上る激怒のオーラ。
それを目の当たりにし、怯みながらも男は蓮に挑む。
「…ぬ、盗み聞きとは、いい趣味ですね、敦賀さん」
「ふざけるな」
すう、と蓮の瞳が細められ、辺りの気温が下がる。
あまりの迫力に流石に男も何も言い返せない。
「番宣のためのスキャンダルだと……?そんな悪趣味なものに彼女を巻き込むな」
手を出すのは極力避けたかったが、蓮は止まれなかった。
何よりもキョーコを侮辱した男の言動を、許す事など出来なかったのだ。
ぐい、と男の胸ぐらを掴んで引き上げる。
「ひぃっ……!」
普段温厚と評判の蓮だが、その長身と鍛え上げられた躯から発せられる激怒の念をまともに受けて、男は情けない声を上げた。
「つ、敦賀さん…!」
キョーコの必死の制止に、殴るのだけはなんとか堪え、蓮は男に言った。
「誰と恋愛をしようがそれはお前の自由だ。だが二度とそんな腐った根性で彼女に近づくんじゃない………」
掴んでいた手を離すと、男は無様に尻餅をついた。
「同じ事がもしあれば、次は……いっそ死んだ方がマシだという目に遭わせてやろう。二度目は無いと思え」
「っ…………」
這々の体で脱兔のごとく逃げ出す男。
それを見送って、キョーコはほっと溜め息を吐いた。
あわやと言うところで蓮に助けられ安堵したキョーコだったが、男が逃げた今も辺りの気温は低いまま。
蓮が男を殴るのではないかと危惧して、それを制止しようとして掴んでいた蓮のシャツからキョーコは手を放した。
そおっと上目遣いで蓮を見上げれば、やはり未だ低気圧の暗雲を背負ったままの蓮と瞳が合う。
「敦賀さん・・・」
「君は馬鹿か」
取り敢えず助けてもらったことのお礼を言おうとしたキョーコを遮るように、蓮は吐き捨てた。
思った以上に強い口調になってしまったが、一度口をついて出た言葉を今更引っ込める事は出来ない。
蓮の言葉にびく、と躯を震わせるキョーコ。
偶然自分が彼女の姿を目にしていたから、この程度ですんだけれど。
もし、誰にも気付かれずここに彼女が男と二人きりだったとしたら。
あのまま、力ずくで、彼女が傷つけられていたとしたら。
キョーコを無事救えた事でほっとする一方、あまりにも無防備な彼女自身へと蓮の苛立ちは向けられた。
確かに、不穏なものを感じていたにも関わらず、のこのこ男について来てしまった自分にも落ち度はある。
でも、そんな風に言わなくてもいいじゃない。
そう思ったキョーコだったが、合わされた蓮の瞳の色に何も言い返すことは出来なくなってしまった。
まるで蓮自身が傷ついたかのような、苦悩の色濃い、見ているこちらが切なくなるような瞳で、蓮はキョーコを見下ろしていた。
「っ……ごめん…なさい……」
キョーコの身を案じるが故の苛立ちと、迂闊な行動に対する怒り。
蓮が自分に対して見せた感情の元を理解したキョーコの口からは、謝罪の言葉。
俯いてしまったキョーコに、蓮の波立った感情も落ち着いていく。
「あんまり心配させるようなこと、しないでくれ……」
そっとキョーコを引き寄せて、己の腕の中に華奢な躯を閉じ込めた。
キョーコも小さく頷き返す。
蓮の胸に抱かれて、蓮の香りを感じて。
先程の男との、嫌悪感しか感じない接触とはまるで反対に、心を満たすのは何もかもから守られているようなやすらぎ。
蓮の腕の中で安心しきった所為か、張り詰めていたキョーコの精神の糸が切れた。
「ふぇ………」
改めて男の仕業を思い返して、先程の恐怖が蘇ったキョーコの躯が震えた。
「こ、怖かった………!」
泣き出してしまったキョーコを更に強く抱きしめて、蓮は言った。
「君に何かあったら、皆が心配するだろう?真理子さんも、琴南さんも……社さんやマリアちゃんや社長だって。
勿論、オレも」
蓮の大きな手に優しく髪を梳かれ、キョーコのしゃくりあげる声も徐々に小さくなる。
「だから……約束して?二度とあんな風に……男と二人切りになるような事はしないって」
本当は、『オレ以外の男と』と言いたかった。
でもこの状況でそれを言うのは、キョーコに自分の気持ちを押し付けてしまうような気がして、蓮はただ男、と言うに留めた。
「はい…。気をつけ、ます」
泣き止んだキョーコに微笑んで、あやすように頭を撫でる。
蓮を見上げて、漸く笑顔を浮かべたキョーコに、蓮は思った。
この笑顔を守るためなら、自分はどんなことをも厭わないだろう、と。
そのままキョーコを送って帰ろうかとも思ったのだが、やはり先程のことを早めに報告した方がいいだろうと思い、
蓮はキョーコをつれてオフィスへ向かった。
丁度良いことに、そこには真理子と社、そして俳優部の主任の椹しか居なかった。
軽く扉をノックして部屋に入った二人に気づいて三人の視線がいっせいに集まる。
「あらお二人お揃いで………キョーコ?どうしたの?!」
二人の経緯も承知しており良き理解者でもある真理子は、
微かに瞳を赤くしたキョーコにいち早く異変を感じ取り、二人に駆け寄った。
「真理子さん……」
姉のように慕ってもいる大好きなマネージャーの心配そうな顔を前にして、キョーコの涙腺がまた緩む。
「キョーコ?!」
そんなキョーコの様子に、真理子はキョーコの横に控える事務所の看板俳優に詰め寄った。
「……まさか敦賀くん……我慢できなくなってキョーコを襲ったんじゃないでしょうね?!」
「………オレがそんなコトするわけないでしょう」
「………それもそうね。ごめんなさい?」
蓮はため息をつく。
真理子は一瞬本気で疑っていた。
しかし、もしそうだとしたら二人一緒に来るはずはないという事に思い至って、真理子は蓮を容疑者リストから外したのだ。
それに良く見れば、キョーコは片手で蓮のシャツをちょんと掴んでいた。
まるで、甘えているかのように。
いずれにしても普通ではない様子の二人に、社と椹も心配そうにやって来た。
「蓮、キョーコちゃん。いったい、どうしたの?!」
「…………」
困ったように蓮を見上げたキョーコに頷いて、蓮は言った。
「オレが説明します」
蓮は淡々と事の経緯を話した。
途中、俯いてしまったキョーコの髪を撫でて励ますように微笑いかけたりもしながら。
「………と、いう訳なんです」
話終えた蓮に、聴衆は三者三様の反応を見せた。
社は、
「なんて奴だ!LMEの面汚しだな!蓮が気づいて良かったよ……」
と蓮のキョーコセンサーの感度の良さに感謝し。
椹は、
「アイツか……今までも多少そういう苦情があったみたいだけど……。ここらでなんとかしなきゃいかんな……」
と頭を抱え。
真理子は、
「……私これでもかなり温厚な方だと思うんだけど。生まれて初めて、人に殺意を感じたわ……」
整った顔に迫力のある笑みを浮かべて、蓮に告げる。
「敦賀くん。……殺っちゃっていいわよ?」
「そうしたいのは山々なんですが、オレもまだ犯罪者にはなりたくないので……二度目は確実に仕留めますが」
「そうね」
「ま、真理子さん!」
マネージャーと蓮の物騒な物言いにキョーコが慌てて止めに入る。
「わ、私も不注意でしたし……」
「まあ……かる〜く脅しておいたから、この件に関しては、もう大丈夫だとは思いますが」
蓮の『軽い脅し』に思いを馳せ、社は胃を押さえた。
自業自得、同情する余地はこれっぽっちも無いのだが、それでも蓮の怒りを食らった男が哀れだった。
……そりゃ間違いなく効いてるよ……。
蓮と真理子のあまりの迫力に押されていた椹がなんとか話を纏める。
「まあとにかく!タレント部の主任には俺から言っておく。社長にも報告しておくから。
……最上君、怖い思いをさせてすまなかったね」
「いえ、そんな……!私もこれからは気を付けますので…。ご迷惑お掛けして、すみませんでした」
ぺこりと頭を下げるキョーコ。
「じゃあ…………」
そう言って蓮はキョーコの肩を抱き、帰ろうと踵を返したのだが。
「ちょっと待った」
にっこり笑った真理子にキョーコを奪われる。
「え……?」
「なんですか……?真理子さん??」
「いえ、キョーコには、もうちょっと危機感を養ってもらわないといけないようだから。
…………年頃のオンナノコが男にほいほいついてっちゃダメでしょ!というわけで、
今日は私が送ります。それと、説教」
「えええええ?!」
「………………」
泡を食うキョーコに、言葉を失くす蓮。
しかし二人とも、しっかり者のお姉さまには逆らえなかった。
キョーコを追いたてながら、がっくりうな垂れる蓮に、すれ違いざま真理子はそっと囁く。
「…………今日の事、本当にありがとう。
明日一日…………一緒に過ごせるんだから、今日は我慢してね?」
お疲れ様でした〜!!と去る美女二人を見送る、男性三人。
社はキョーコを奪われた蓮を恐る恐る見やるが、予想に反してそこには穏やかに苦笑する姿。
確かに、あまりにも無防備に過ぎる少女には、しっかりと指導してもらった方が今後のため。
残念ながら、いつでも側にいて守ってあげるというわけにはいかないから。
…………明日は、その辺りを身をもって教えてあげるのも、いいかもしれない。
end.
相互サイト様に迎えさせていただいた『MORE BY LUCK THAN MANAGEMENT』のるき様から頂いた、相互記念リクの作品ですv
るき様宅の蓮キョの中でも気持ちは通じ合っているのに手が出せない蓮様が見たく、「執行猶予期間中にキョーコちゃんが告白されている場面に出くわした蓮様」というリクをv ←鬼か貴様
グッジョブ!です、るき様vv
無防備すぎるキョーコちゃんと苦悩する蓮様が最高っ! ←告白男は…?
それはもう教えなきゃダメですよね、イロイロと(笑) キョーコちゃん、二日連続でお勉強してくださいませ♪
るき様、素敵なお話をありがとうございました!
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