最上キョーコ、20歳。


初めて―――瞳で、射殺される―――という意味を知った。




凍てつく視線





二週間前、私は男の人と交際を始めた。
相手は最近名の売れ始めた人で、自分と同年代の結構仲の良かった男の人。
同年代というだけあって話もそれなりに合ったから楽しかったし、相手も自分を宝物のように大事にしてくれた。
松太郎しか見えていなかった頃の時期が嘘のように、大事に大事にしてくれたのだ。

・・・・・だけど、交際は一週間で終結を迎えた。


―――――何故なら、私の気持ちは彼になかったから。


初めて彼に気持ちを打ち明けられた時は、ただ純粋に嬉しかった。
だって自分は必要されない人間なのだ、と思っていたから。
だから、自分に向けられる好意が嬉しくてくすぐったくて仕方なかった。

だが、相手の事を少なからず良くは思っていたものの、日に日に心に沸いてくるのは『何かが違う』という違和感。
一緒に居ればきっと心の中の違和感も消える・・・・そう思ったが、なかなかそう上手くは行かず。

やがて自分からさよならを告げた。


・・・・・・・そう、ただ嬉しかったのだ。私は。
他の誰でもない。自分を。
自分だけを。


『自分を必要として』気持ちを伝えてくれた彼の行為が嬉しかったのだ。


彼を好きになれれば良かった。
そうなれれば、きっと幸せな日々が育めただろう。
でも、現実はそれさえもうまくゆかない。

きっと自分は、松太郎の時に愛する気持ちを全て使い切って、何もかも無くしてしまったのだ。


――――そう思うと、心はすとんと納得した。






そんなある日。私はあまり顔を合わせたくない人間との仕事が入った。
二時間ドラマで、相手役は自分の所属事務所の先輩。敦賀蓮・・・・・その人。

二週間前に私が交際を始めてから、先輩である敦賀さんの私に対する態度に微妙な変化が訪れた気がする。
いつもは自分をからかう彼の行動が、突然ピタリと止んだのだ。

その代わりに訪れたのは・・・・・・じっと自分を見つめる視線。真っ直ぐに射抜くような真摯な瞳。
背中越しでも痛い程に感じるその視線。

彼の視線が自分の心を見透かしているようで。
絡め取られて動きが取れなくなってしまいそうで。

だからひたすら彼を避けていたのに。

だが、そんな時ほど神さまは無情にもタイミングを外してくれる。
しかも、今日の撮影する場面は――――・・・・・


彼との、ベッドシーン。


ほんの数分間の撮影なのだけれど。
それ程際どい場面ではないけれども。

だけど、フリで済むほど現実は甘くもなくて、台本のとおりに彼に服を剥ぎ取られ、肌を合わせねばならない。
ようやく想いを遂げた相手の腕の中で幸せに満ちた女性の役を演じなければならない。

――――それを彼とするのだと思うと想像するだけで、手の中にジワリと汗が浮かぶ。

今までだって、濃厚なキスシーンだって何だってやってきた。相手役が敦賀さんなのは今までだって何度もあった。
そう自分に言い聞かせながら撮影に臨もうとするけれど―――やはり共演者が彼だと思うと、緊張が拭えない。
演技する事に人一倍真剣な人だから、彼の周りに緊張感が漂っているのはいつもの事。
でも・・・・でも、今日は何かが違うのだ。

彼を纏う空気が。
彼が自分に向ける絡みつくような視線が。


あの真っ直ぐに向けられた深い瞳が――――・・・・・


「じゃあ、敦賀くん、京子さん。お願いします」


かけられた監督の声。
その一言で、自分は女優『京子』となる。

私の役は、彼に恋する『葵』の役。
瞳の前には、『葵』が恋して望んでようやく手に入る大好きな彼。

どこかで始まりの合図が聞こえたけれど、瞳の前の彼しか見えていない『葵』にはもう聞こえない。
聴こえるのは、低く艶やかな声で名を呼ぶ彼の声だけ。


「・・・・・・・葵・・・・・」


差し伸べられた手と甘やかに名を呼ぶ声に引き寄せられるように腕を伸ばす。
伸ばした先には、瞳を細めて愛し気に見つめる大好きな彼。
ここまで、様々な事があって・・・・・そして、ようやくあれ程待ち望んだ彼の腕の温もりに『葵』はただ縋り付いて抱きしめる。

抱きしめた感触に。抱きしめられた彼の胸板の厚さに。
ようやく自分と共に居る『葵』が安心を覚える。


「・・・・・・・・やっと、会えた・・・・・・・隆一さん・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・葵・・・・・・・・・・」


あまりにも苦しげに名を呼ぶ声に、『葵』と共に居るもう一人の自分の鼓動が跳ねる。
・・・・・気のせいだ、気のせい。彼は、『キョーコ』ではなく『葵』を呼んでいるのだ・・・・・これは演技だと、そう言い聞かせて。
それでも理性と本能は別のところにあるようで、何度も名を呼ぶ彼の声の響きに次第に身体が熱くなる。

やがて、自分の羽織ったシャツに手をかけられて鼓動がますます強くなり。
ベッドに身体を縫い付けられた時には、このまま心臓が止まってしまうのではないかと感じていた。
正直逃げ出したい、と思ったのだけれど・・・・・・だが、自分の中の女優としてのプライドがそれを許さなかった。
だから自分の心に負けぬように、キョーコは強い意志を持って彼の行動を受け入れる。

心の中で『これは演技』という言葉を繰り返しながら。

胸の中で沸き立つ訳の判らない感情を抑えながら、瞳の前の彼を見つめる。
私の心の内を知らない彼は情欲に支配された瞳を自分に向け、しなやかな指先で丁寧に身体に触れてくる。
そのたびに耳元で繰り返される『葵』への告白に何故だか心が揺れ動く。
嫌という程に落とされる口付けに『葵』と共に居る『キョーコ』の意識までも翻弄されてゆく。

触れた指先から伝わるのは、彼の想い。
重ねられる身体から伝わるのは、彼の温度。

―――――正直、気が狂いそうだった。


「・・・・・・・・・・・・・・君だけを、愛している・・・・・・・・・・」


―――――本当に、狂うかと思った。








「カーーーーーット!OK!二人とも良かったよーー!!」


悪夢のような数分間は、監督の一声で終わりを告げる。
緊張感に苛まれた自分の身体は、ようやく告げられた終了の声で息をつく事を許された。
そして、身体を起こそうと上に視線を向けた、瞬間――――――



息が、止まる。



そこには、真っ暗な闇を瞳に秘めた『男』の姿。
身も凍るような威圧感に身体はピクリとも動かない。

再び高鳴る自分の鼓動。
それは、周りに聴こえてしまうのではないかと思われる程の心臓の音。
早鐘と共に今度は息が上がってゆく。

自分は、底の見えない闇に捕まってしまった。
こういうのをきっと『心臓を鷲掴みにされた』と言うのだろう。

そんな自分に思わず息を呑む程の美しい笑みを浮かべ、彼は一言だけ言葉を放つ。


―――――もう逃がして、あげないよ?


誰にも聞き取られる事のないような小さな声でポツリと囁かれた一言。
艶を帯びた優しげな声音は、台本とは違う『彼』の言葉。
それは紛れもない・・・・・『彼』からの宣戦布告。
今の自分にとって爆弾と同等・・・・違う。それ以上の威力を持つ置き土産。

(・・・・・・・・・どうしよう、怖い・・・・・・・・・・・・・自分が自分で無くなるかもしれない・・・・・・・・)

告げられた言葉の重さに、キョーコの身体は次第に震え上がってゆく。
身体を両手で抱きしめても震えが止まる事はない。

耳に残る、艶やかな声。
脳裏に浮かぶ、射抜くような底の見えない瞳。
誰にも聴こえない・・・・私だけに届いた瞳で語る彼の声。
それは、一つの事を指していた。

言葉にすれば至ってシンプルで判りやすく。
だけど想いは複雑でどうしていいか判らず戸惑ってしまう。

彼の心の声は唯一つ。
君が欲しい、と真摯な瞳で告げてきた。

その言葉は、自分が無くしてしまった筈の甘い気持ちを揺り起こし、じわりじわりと侵食する。
その深い眼差しは、心の奥底に閉ざした思い出したくない記憶をも解放し、やがて自分を捕らえる。
瞳の輝きはどこまでも強く。そして、どこまでも真っ直ぐに射抜く。



・・・・・・あの人は、私を殺す気に違いない―――――・・・・・・・



そんな錯覚を起こしてしまうほどに。















「・・・・・・・・蓮、どうかした?」


じっと彼女に触れた掌を眺めていた蓮を不思議に思いかけられたマネージャーの声によって蓮の意識が現実へと浮上する。
自分を心配する社の声に、蓮は『いいえ、何でもありません』と首を振って軽く笑みを浮かべた。


「・・・・・そう?ならいいけど・・・・・・・・あ、蓮。キョーコちゃん、別れちゃったらしいよ?」
「・・・・・・・・・・知ってますよ・・・・・」
「そうか!良かったな〜、蓮。俺も彼女が付き合いだした時には本当にびっくりしたけど・・・・・キョーコちゃんには気の毒だけど、これでお前にもチャンスが巡ってきたって事だろ?」


『良かった、良かった』と涙ぐんで笑う社に、フッと穏やかなを笑みを浮かべながら、蓮は『そうですね、』と呟いた。
まあ、最初からあの二人がうまく行くとは思ってなかったけれどね。
彼女が何故、彼との交際を了承したのか自分は最初から知っていたのだから。

正直、こんなに早く別れるとは思ってなかったけれど。
どうやら彼女は自分の気持ちに気付いたらしい。


(・・・・・・・・普段は頼りない感じなのに、いざという時は本当に強いな・・・・・・)


蓮は、脳裏に輝きを秘めた彼女を思い出しながら、再び右手を見つめる。
思い出すのは、先ほどの撮影で触れていた彼女の柔らかな温もり・・・・・・・そして、彼女の吸い付くような肌の感触。
想い人のすべらかな肌に思わず理性を飛ばしそうになったが、撮影中という事もあって何とか押し止めた。
だが、秘めてきた想いを暴走させるには十分なもので。


(・・・・・・・・・・ちょっと、怖がらせちゃったかな・・・・・・・?)


そうして、愛しげな視線を彼女に触れた掌に向けて、チュッと優しい口付けを落とした。






――――それでも。

あの場で起きた事は、紛れもないただ一つの偽りない心。

彼女に詫びる気持ちなどさらさらない。
真剣な想いを謝るのは、自分の気持ちを否定するのも同然だ。
だから、詫びる必要はないのだ。

必要があるのは、君を今度は逃がさないようにする事。
確かに一度は取り逃がしたけれど二度目はない。

俺は必ず君を捕らえる。


だって君は既に俺という名の籠の中――――君という鳥を逃がすつもりなどないのだから―――・・・・



「・・・・・・・・必ず捕らえる。・・・・・・・・・・覚悟はいいかい?キョーコちゃん・・・・・・」












その日――――凍て付く彼の視線により、彼と彼女の戦いの火蓋は切って落とされる。


逃げ道のない籠の鳥が手中に収まる日まであと僅か―――――・・・・











こちらはスキビサイト『百花繚乱』様の蕾様から強奪してきた、20万打記念フリーSSですv

キョーコちゃんの「人生の回り道」ですね(笑) 若いうちはフラフラしても、最後には落ち着くべきとこに落ち着く、と。
蓮様の捕獲作戦(違)が開始されるようで。あ、もうすでに開始されてますねv
個人的には「二人のベッドシーン」に萌えました(殴)


蕾様。20万hitおめでとうございましたー!