四面楚歌





「―――…………君は…はっきり言ってバカだろう。

蓮の的確な指摘に、キョーコは返す言葉もない。いや、そんな余裕がないと言った方が正しいだろう。瑠璃子とのやり取りで容赦なく足を酷使したため、悲鳴すらあげることのできない痛みが足を襲っていたのだから。

蓮にしてみれば、足の怪我を考慮せずに取っ組み合いをするキョーコの行動は馬鹿げたものかもしれない。
しかし、キョーコにとってはこの痛みと引き換えにしても無視できるものではなかったのだ――――瑠璃子との事は。


「……今回は、やめておいた方がいいんじゃないか………?」

何を、とは言わない。言わなくてもわかることだからだ。事実、キョーコはこの言葉に反応した。
蓮は続けて説得を試みる。

「君の足の事を考慮して、茶会のシーン、監督の指示のもと飛鳥さんが大幅に短くアレンジしてくれたとはいえ、今の君の足で正座なんてまず無」
敦賀さん!!早くスタンバって下さい!!始められないわ!!」
「わっ」

一度は去っていた瑠璃子が舞い戻り、話している最中に割り込んだ上に無理やり蓮の腕を引っ張っていく。蓮も屈した不安定な体勢だったため、彼女に引かれるがまま足を運ぶ。
その流れ、と言っては何だが、確かに撮影の準備も整っているようなので、急かす瑠璃子に従って蓮はその場を離れた。


取り残されたキョーコは立ち上がろうと四つん這いになったところで、その動きを止める。怪我が痛むからではない。それよりも、瑠璃子の言葉が心に突き刺さっていた。

(…あのわがままで傲慢な態度も許せなかったけど……アレルギーも虚弱体質も――…全部――――………ウソだったなんて――――…)

打ちのめされていたキョーコの脳裏に、瑠璃子の放った言葉が蘇る。「キョーコを潰すことが目的だ」という言葉が……
キョーコは自嘲の笑みをもらし、ゆっくりと立ち上がる。

(―――…ああ……そうね……そうだっけ…………最初から私を潰すつもりだったのよね……ふふ…やってみなさいよ……遣られる前に遣ってあげるわ!!


「ほほほほ」「ふふふふ」「くすくす」という笑いと共に放出された怨キョを従え、キョーコはターゲット――瑠璃子を修羅の如き形相で睨みつける。地の底を這うような恐ろしい声音で笑いながら。

(…笑ってる……しかし…なんだろう…あの異様な空気は……)

それを遠目に見ていた蓮は、怨キョが見えないが故にその禍々しいオーラのみを感じ取っていた。自然、蓮の視線はキョーコに注がれる。


面白くないのは瑠璃子だ。一見すると、キョーコの傍を離れたことに未練があるかのように思える。それが酷く癇に障り、「…敦賀さんはあの子と共演したいんでしょ!!」と不平を鳴らした。
これは蓮も予想外の発言で、ただ「…ん…?」と返すことしかできなかった。その蓮の戸惑いにも気づかず、瑠璃子は蓮の腕にしがみついたまま不平を並べる。

「だからあの子にばっかり構うんだわ!!敦賀さんだけじゃない!飛鳥さんだってそうよ!私の事が嫌いであの子の事が好きだからさっきも…っ」
「…違うよ…関係ない。それに、飛鳥さんも撮影に関しては公平な態度で接すると思うよ?」
「……そうは思えないわ」
「彼女は『好き嫌い』で仕事をするような人じゃない。短い付き合いだけど、よくわかるよ…俺が一緒に仕事したいと思うのは、自分の仕事に誇りとこだわりを持ってる人間だから――監督や飛鳥さんみたいな、ね…」
「……………」



優雅に微笑んでそう口にする蓮に、瑠璃子は返す言葉が見つからなかった……










――…なんでだろう…なんだか……やんわりつき離された様な気がした――――…

『だから、君とも仕事をしてみたいと思わない』

はっきりそう言われた訳じゃないのに――――…何故――――…?









「…え…?」
「…いや…だから足の事を考えるとね…」
「あ……いいんです。本当に大丈夫ですから。気にしないで下さい」
「…や〜〜〜〜…でもねェ〜〜〜」

撮影現場のすぐ傍らで交わされる会話――というより説得。蓮に引き続き、社もまたキョーコを止めようと、彼女が話しやすいようにしゃがんだ体勢で話しかけていた。つまり、誰が見てもキョーコは正座などできる状態ではない、ということだ。
キョーコはパイプ椅子に座ったまま朗らかにそれを拒否するが、社としても怪我人に無茶をさせるのは忍びない。故に、引き下がらずに難色を示す。

そんな社に、キョーコは笑顔で拳を握り締め、

「いいえ。私、たとえ骨が折れてもやめませんよ。だって、骨は折れても治るもの。(瑠璃子ちゃんから受けた心の傷に比べたらカワイイものよ…)

今までとは打って変って、邪悪な笑みで拳を打ち付ける彼女に、社は心から戦慄した。

(…怖い……この子……さすが飛鳥さんの知り合い……)


『ストーーップ。瑠璃、セリフ忘れてる』
「…あ」
「…そういえば…撮影中でしたね……」

拡声器越しに届いた新開の声に、キョーコと社は意識を舞台へと向ける。舞台上では、正座で向かい合う蓮と瑠璃子がいた。
『いつまでも蓮に見惚れてちゃダメ〜〜〜〜〜』という新開の言葉に、瑠璃子は真っ赤になっている。否定しきれない事実のようで、スタッフ達の間からも笑い声が零れていた。

『まぁいい…じゃ、次っ。キョーコちゃんに交たーーい。スタンバってーー』

どこまでも軽い口調で指示を出す新開。とても34歳には見えない。
その指示に意表を突かれたのは当事者二人。瑠璃子は「何で!?」という表情で目を見開き、キョーコは思いの外早くきた出番に「はい!!」と勢い良く立ち上がった。――となると当然、





ドピシャーーーーーンッ


「ああっ(キョーコちゃんっ、足ーーーっ)」
「〜〜〜〜〜〜〜っ」



……こうなる。







(…………キョーちゃん…足の事、忘れてたわね……)

明らかに悶絶している様子を見て、明日香はそっと目頭を押さえた。
その痛ましい姿とあまりにもキョーコらしい姿に。


「瑠璃。茶の点て方はまずまず、と♪」
(まずまず〜〜〜!?)ちょっと……監督…今の、本当に私の演技の良さってわかってもらえたんですか?最後までやってないんですけどっ」
「うん、大丈夫大丈夫。十分わかったから。瑠璃が真剣に演技してないって事はね」
「!!私っ、真剣にやってました!!」
「そーか。じゃあ『真剣』じゃ足りないんだな。もっと『必死』にやりなさい。共演者に見惚れてセリフ忘れるなんて、身が入ってない証拠だ」
「…もしくは、セリフを覚えてなかったか、よね」

新開の辛辣なコメントに続けて、明日香も意見する。もちろん、新開にはアイコンタクトで了承を得てから。
図星を指された瑠璃子は、口籠もりながら必死に弁解し始めた。

「…だって…っ……それはっ」
「……『それは』…なに?」
「(いろいろ考え事してたら……っじゃなくて!)
えっと、その…お茶点てながらお芝居するなんて初めてだもの!!」
「……貴女がセリフ忘れたところ、お茶点てている場面じゃなかったけど?」
「っ!!…そ、それにっ、こんなに太陽の下にいるのも久しぶりで「瑠璃」――っ」

明日香に口実を看破され、即座に違う言い訳を始めた瑠璃子を制止するその口調は、今までの新開とは全く異なるものであった。真剣味を帯びた、硬い声。
瑠璃子は咄嗟に口を噤んだ。

「俺が今君の口から聞きたいのは、言い訳じゃない」
「……?」
「――私も、これ以上の聞き苦しい言い訳は止めて欲しいわ」
「!?聞き苦し…っ」
「ここで貴女が言うべき言葉は、一つでしょう…?」
「――…え……?」
「…瑠璃子ちゃん」
「!!」



二人の言いたい事がわからず戸惑う瑠璃子に、社に支えられながらここまで来たキョーコが声をかけた。その表情は実に穏やかなものである。

「……何よ?」
「…見てて。私、ラブミー部としての使命を果たしてみせるから」
「…?どういう意味?」
「いやだ、忘れたの?私の仕事っ。太陽から瑠璃子ちゃんを守るために、日陰を作ってあげる事だったでしょう?だから――…」

キョーコはその面から笑顔を消し去り、スゥ・・と瞳を細め――宣言した。

「芸能界でも、陽のあたらない場所(ところ)を歩かせてあげるって言ってるの」


……その意味を瑠璃子が理解するまで、数秒の時間を要した。
理解してみれば、夢物語のような話である。片や既に絶対的な地位を確立しているアイドル、片やデビューすらしていない新人。どれだけ欲目に見ても、キョーコの言った事が実現されることはない。

だが瑠璃子は、頬を伝う汗を止めることができなかった……

「……は…っ!なぁにそれっ!それって、私があんたの影に隠れて目立たなくなるって言いたい訳!?芸能界で!?バッカじゃない!?そういう事は今回のこの映画の仕事を私から奪って、デビューできたら言う事ね!!」

余裕に満ちているセリフの内容に対し、言うほど覇気がないことに、新開、蓮、明日香は気づいていた。ただ、無言で二人のやり取りを見つめる。




――キョーコは、静かに口角を上げて微笑んだ。




(―――――…な―――…なによ!!その自信に満ちた微笑(えみ)は…!!言っとくけど!!今回は私が有利なのよ!!お茶の点て方だってあんたより上手い自信があるんだから!!あんただって聞いたはずよっ、先生のベタ褒め!!)


怪我に加え、お茶の点て方も指導されていないのだ。瑠璃子の絶対的な優位は揺るがない。……揺るがない――はずだ。
何故だか消せない不安を、瑠璃子は無理やり押しやった。







二人の会話が終了したことを感じ取り、それまで沈黙を保っていた明日香は、キョーコの傍らへと足を進めた。

「キョーちゃん……足は大丈夫?って…大丈夫なわけないか…」
「ありがとう、明日香ちゃん。心配しないで」
「…………無理……しないでね?」
「…………………うん」
(…その間が不安を掻き立てるんだけど……)
言っておくけど、身内だからって贔屓はしないわよ?」
「当然っ!」
「…ふふっ、そうね」
「じゃ、また後で」
「ええ…また後で、ね」











あ、明日香さんが普通だ!! ←マテ
……いや、まあ…ねぇ?さすがにこの緊迫した雰囲気の中で毒を連発するわけには…(汗)
代わりにキョーコちゃんが黒いですけどね(笑)

四面楚歌――文字通り四人を敵に回しておりますv 誰が、なんて…明記しなくてもわかりますよね?



-△-