スイッチ・オン





舞台の上、しっかりと正座している蓮と向き合う形で跪くキョーコに、蓮は呆れ混じりに溜息をついた。

「――――…全く…君の『根性』には脱帽だ。
が、しかし。そのポーズで演(や)るとなると確実に勝ちは無いな。美しくない……演(や)ればいいってものじゃないぞ?」
「『スタート』したらちゃんと正座します!!」

眉を吊り上げて反論してくるキョーコに、蓮はそれ以上言っても無駄だとわかり、再び溜息をついた。



その二人を新開の隣で見ていた明日香は、送り出したもののハラハラする気持ちを必死に抑えていた。その瞳は「早く終わって欲しい」と雄弁に語っている。

「…どれ…あまり無理もさせられないが…ああまで言うんだ。どこまでやれるか見せてもらうか。――な?」
「…………ええ……でも、無理だと判断したらすぐに止めて下さいね?あの子、自分から止めたりなんかしないでしょうから…」
「ヘェ…彼女が痛みで演技できない、とは思わないのか?」
「思いませんね」
「……即答したな」
「あの子の負けず嫌いは、よ〜〜〜〜〜く知ってますから」

自分とは逆隣にいる瑠璃子を見ながら答える。その瑠璃子はキョーコに意識を集中させているため、明日香の視線には全く気づいていない。

「負けず嫌いって言っても、それでどうにかなるようなもんじゃないだろ?あの足。今の状態でもかなり辛そうだぞ?」
「そりゃ辛いでしょうね。普通ならこの時点で悲鳴を上げてますよ、立つだけで痛みが走る状態なんですから」
「…それでもやれる、と?」
「百聞は一見にしかず、ですよ。ほら、さっさと始めてください。もたもたしてるとそれだけ苦痛を長引かせるんですから」
「……はいはい。んじゃ、いきますかねー」

問答は終わりだ、とばかりに切り上げる明日香を横目に、新開はスタッフに合図を送る。
明日香はそれを視界の端に納め、じっとキョーコを見つめた。







痛みが鼓動のように足から全身へと走り抜ける中、キョーコの意識にあったのは痛みを我慢することではなく、幼い頃から何度も何度も教え込まれてきた言葉だった。
風邪で頭痛に顔を歪めたとき、嫌なことがあって笑えなかったとき。その度に繰返し言われてきた言葉。

『――…キョーコちゃん。お客様の前に立つ以上、お客様にはいつもにこにこしてなあかんえ。どんなに体調が悪うても、顔に出したらあかん』

キョーコにとっては「努力する事」ではなく、「できて当たり前の事」。そのように育ってきたのだから……


(…お客…今、私の目の前にいるのは……お客―――!!)







開始の合図と同時に、その場を厳かとも言える静寂が支配した。
物音一つ――いや、呼吸すら許されないような感覚……

それまで軽口を叩いていたスタッフ。
軽い気持ちでキョーコを見ていた新開。
自分の勝利を確信し、驕った態度を崩さなかった瑠璃子。
そして――真っ向から対面していた蓮。

誰も彼もが、たった一人の少女に釘付けとなっていた。


見本のように美しく静座し、微笑む彼女に……





「――――…微笑(わら)ってる…何事もなかったかのように」
「…見かけ程痛くないのかな」


ようやく硬直の解けたスタッフの間から、そんな声が上がった。というより、彼らにそう言わせてしまうほどに、キョーコの態度が自然だったのだ。
瑠璃子は動揺する心を鎮めながら、その声を聞いていた。

(そ、そうよね!重傷と見せかけて、やっぱり大した怪我じゃなかったのよ!!そうじゃなきゃ――)

「…痛いにきまってんじゃねーか」
「!」

瑠璃子の思考を遮るように発せられた言葉は、隣にいる新開からのものだった。スタッフと瑠璃子の視線が新開へと向けられる。
続きを待つ彼らの視線を無視し、新開は顔の向きは変えないまま、視線だけを隣へと移した。誰もが目を見開いたキョーコの姿勢に、唯一人平然としていた人物。

(……こりゃ確かに『百聞は一見にしかず』、だな。君が言うだけの事はある――…面白い…)


視線を再びキョーコへと戻し、衝動に駆られるがままに口元を持ち上げた。

「…あの子…根性は既にプロ級だ……」
「!!(監督――――…!!)」

小さく呟かれた言葉に、瑠璃子の心臓は大きく脈打った。今の言葉は、新開がキョーコを認めた、と言っているようなものだ。

(ど、どうしよう…飛鳥さんは元々あの子寄りなのに、監督まで…このままだと私――…っ)


一方明日香は、瑠璃子が青褪めていることなど気にもせず、舞台上の様子を見守っていた。
キョーコの振る舞いは予想の範疇。明日香が気になっているのは、キョーコの演技に対する蓮の姿勢である。

故に、彼女だけが気づいていた。真剣な眼差しと相反するようにして作られた、蓮の口元に浮かぶ僅かな笑みに……







シャ シャ シャ


小気味よい音を立てながらお茶を点てるキョーコに、見ていたスタッフに戸惑いが広がる。

「………素人目から見ても…上手い……」
「瑠璃子ちゃんは様になってたけど…こっちは板についてる」
「…そうか!キョーコちゃんがやってた習い事って茶道だったんだ!演技テスト前にレクチャー受けないわけだよな」

そんな会話を呆然と聞きながら、瑠璃子は身体の震えを止められずにいた。
今回の演技テストで勝利を確信していた根源とも言える、お茶の点て方――絶対に自分の方が上手いと信じて疑わなかったものが、簡単に崩れ去ってしまった。

(――――…なに…これ…何よ、これ!!
ずるい!!あの子…!!私より自分の方が上手いってわかってて手の内を見せないなんて…!!)

自分に有利な条件で勝負していたことを棚に上げ、キョーコに「狡猾な女」という烙印をつけようとしたとき、舞台に上がる直前に見せたキョーコの表情が瑠璃子の脳裏を過ぎった。
あの自信に満ちた微笑の意味を、今、ようやく理解する。

(―――…あったんだ……初めから……私に勝つ自信―――…!!)







キョーコが点てたお茶を受け取り、作法通り回す蓮。

「――…今朝、鈴鳴岬へ行ってみましたよ。本当に、風が鈴の音(ね)に聞こえるんですね」
「……ええ……そうみたいですね…」

台詞に対し、台詞を返すキョーコ。
その瞬間、お茶を飲む蓮の手が突然止まった。自然でありながら違和感を感じる動作に、蓮の顔を何気なく見上げ――

(え…っ)

椀の奥から覗く、冷然たる眼差しを受け――キョーコの顔が強張る。さっきまでとは異なるその雰囲気に、心臓が萎縮した。


戸惑うキョーコとは打って変わり、二人を見ていた新開は実に楽しそうな笑みを浮かべた。明日香もまた、薄っすらと笑っている。

「―――……これはいい………はは…っ」
「!?」
「『真剣には真剣を』――ですね」
「ああ!」

意味ありげな会話を交わす新開と明日香に、瑠璃子は交互に視線を送った。二人が何を言っているのか、彼女には全くわからない。


その彼らの心情など歯牙にもかけず、舞台上では演技が続けられる。
蓮は口元をぬぐい、ふ――・・と溜息をついた。

「…行った事、ないんですか」
「…っええ…っ(――って…しまった!!ここはたしか、淋しそうに微笑みながら静かに言うセリフ…!!)」

先程の蓮の視線で萎縮されたままだったキョーコは、思わず力いっぱい答えてしまった後にその事に気づき、激しく後悔した。これでは、台本をきちんと読んでいなかったように思われても仕方ない。


「一度も?」
「…ええ…(よ…よしっ。今度はOK!)」

「次こそは…っ」と決意しつつ蓮の台詞を待っていたため、今度は台本通りのリアクションを返す。
しかし、ホッとしたのも束の間のことであった。

「珍しいですね、この土地に住んでいて………何か――」
「…………?」

台本通りの間の取り方、椀をキョーコへと戻す動作。なのにどこか違和感を感じる仕草に、キョーコは固唾を呑んで蓮を見つめていた。
そして次の瞬間、その違和感が気のせいではないと確信する。

「…理由でも……?」

そう言って見上げる蓮の眼差し、動作、声音――全てがキョーコを射抜くようなものであった。







蓮に圧倒されているのはキョーコだけではない。瑠璃子もまた、その雰囲気に呆然としていた。

「――蓮のヤツ、本気であの子の相手をしている」
「…そのようですね……まあ、あれだけ痛みを隠し通している相手に、本気を出さない役者なんていないでしょうけど」


二人の会話も、既に瑠璃子には届いていない。いや、聞こえてはいるのだが、意識を占めているのは睨み合う蓮とキョーコの姿だった。

(―――…お芝居の事は、よくわからない……でも――――…私の時とは違っている事くらいはわかる――――…敦賀さんを取り巻く空気、迫力が…全然、違う――――…)

そこまで考えた時、瑠璃子の頭から一気に血の気が引いていった。
蓮の雰囲気が変わった理由――それはつまり、「蓮がキョーコを選んだから」ではないのか?

そうとしか思えない瑠璃子は、元より白いその肌をより一層白くしたのだった。











シ〜リ〜ア〜ス〜なお話でした!よって明日香さんも黒くない(笑)
演技の描写は難しいので、変でも軽〜く流してくださいね☆

今回はほぼ原作通りですが、ちょこっと明日香さんを混ぜてます。次は明日香さんの心情も混ざりますのでv

ちなみにタイトルは「キョーコちゃんの仲居モード」と「蓮様の役者モード」の「スイッチ・オン」から(爆)



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