演技対決 vs蓮





(――負けず嫌いだから絶対に我慢するとは思ってたけど…ここまでとはね)

あの16歳の少女とは思えないプロ根性やお茶の点て方がどこで身についたのか想像できるだけに、素直に感心できないが。


明日香はこっそり溜息を吐く。
内心、複雑だった。キョーコの足が心配で仕方ない気持ちに嘘はない。できるだけ早く演技テストが終了することを願う気持ちにも。しかし――



誇らしい気持ちも、確かにある。

認めた相手にしか本気を出さない蓮が真剣に演技をしている。
「痛みを押し殺して演技を続けるキョーコに対し、役者なら当然の対応だ」と言ったのは明日香自身だが……誇らしく感じたのだ。


(もう東京に出てくるまでの暮らしには見当がついてるから、怪我を酷くするだけで何の意味もない対決としか思ってなかったのに……………とんだ誤算だわ……)


――そう、誤算だ。
相反する気持ちを抱いたこともそうだが……『叔母の明日香』としてではなく『脚本家の飛鳥碧』としてキョーコに関心を持つなんて――









蓮から感じる圧力に、キョーコは無意識に手を握り締めた。

(――…なに…!?これ…!!いつもと雰囲気が違う……!!なんなのよこの威圧感…!!――もしや、ケンカ売られてる…!?だとしたら――ま…っ負けるもんか!!そっちが睨んでくるなら、私だって!!)

射抜くような眼光を向ける蓮に対し、キョーコは鋭い眼差しを返す。
それに気づかない蓮ではなく――僅かに口角を上げた。


二人を見ていた新開は「お。」と呟く。

(おおっ、持ち直したぞ。あの子、蓮に刃向かう気だっ。なんて負けず嫌いな…碧ちゃんの言ってた通りだな)

蓮の迫力に一瞬はたじろいだもののすぐ持ち直したキョーコに、新開は驚きを隠せない。キョーコの反応は、プロの役者でもなかなか出来ることではないからだ。

(本格的な芝居経験もなく――まして、蓮と一対一で向き合って演技するなんて初めての子が―――……これはますます面白い……!!)


「監督。口がにやけてますよ」
「んー?」
「腹黒く見えるので消して下さい。」
「……………………それにしても、君の言った通りの子だな」
「?……ああ、『負けず嫌い』の事ですか?」
「そ」
「私が意図していたのは彼女との事だったんですけどね…どうやら、彼相手でも同じだったようで」
「だな。――…だが……この場面(シーン)。彼女がどんなに頑張っても、蓮は彼女を捕えるぞ?」
「…………でしょうね」

明日香もそれはわかっている。特に反論するつもりはない――というか、素人にプロと渡り合え、と言う方が無茶だ。


それ以上何も言うことがなくなった二人は、舞台に意識を戻した。







「――――…あ…あの岬へは近づくなと、幼少の頃から…」

伏し目がちに台詞を言う。
探りを入れてくる相手に、岬へ行った事がない理由を話す場面だ。不自然に感じないように――嘘が見抜かれないように。


「――――…あぁ――…」
「……?(…え…?なに…?)」

突然視線を逸らし、何かに気づいたような表情を浮かべた蓮に、キョーコはどうしたのかと顔を凝視する。

「……鈴の音(ね)…」
「(え…!?どこ…?)」
「―――に誘われる――…とか…?」
「…っ」

蓮の言葉につられ、彼の視線の先に意識を向けてしまったキョーコ。
その直後に続けられた台詞に、激しい衝撃を受けた。手から椀を落としたことにも気づけないほどに……


(…だ…っだまされた――――!!ただのセリフだ!!わかってたはずなのに……!!どうしてだまされるのよ、私――!!)





台本通りの演技をした――いや、させられたキョーコに、新開は満足そうな笑みを浮かべた。

「…よし…いい表情(かお)だ……」
「!!あ…あのくらいなら私にだってできます!!」

新開のキョーコを褒める言葉に、瑠璃子は「自分もできる!」と主張した。これ以上キョーコの株だけを上げるわけにはいかないのだ。
傍にいた明日香と社、スタッフの数名は、二人のやり取りを静観している。

「…………それはどうかな……」
「え…?」
「今のあの子の演技は、蓮が引き出した。あの子に対して、蓮が本気で向き合ってるから出て来た表情なんだよ。
――…だから、君があの子と同等の演技をするには、まず、君が蓮を本気にさせないとできないな」
「………どうすれば…敦賀さんは私に本気で向き合ってくれるんですか……?」
「…君は、もし今のあの子の立場が自分だとしたらどうする」
「…え…?」
「あの子と同じ様に、足のケガを押してもこのシーンを正座でやり通すか?」

新開の質問を反芻してみる。その結果出てきた答えは――否。
意外と己をよく知っている(つまりわがままで傲慢で傍若無人であると自覚している)瑠璃子は、何だかんだと文句をつけて絶対に正座などしないだろう、という結論を出したのだ。


瑠璃子が沈黙したのを見て、新開はさらに言葉を続けた。

「……蓮を本気にさせたのは、あの子の自分の辛さを他に見せないプロ根性だ――それには、自分の仕事への誇りさえ感じる――――…」
「誇…り……」

瑠璃子の脳裏に、蓮の言葉が過ぎる。今、新開が口にした言葉――それは、瑠璃子が演技テストを受ける前に言われた言葉だった。


(――あの子は…誇りを持ってるって事?………………私、は………?)









…ズキン…ッ

広がり始める激痛。


『――頑張るんやで、キョーコちゃん。お客様がお席を立つまでの辛抱や……』

頭に響き渡る教え。


≪もう少し……っ≫
(もう少し………!!)

重なる自己暗示の言葉。




――その全てを感じながら……キョーコは手に力を入れた。









「――今のあなたの様子では、何か、あなたもご存知の様ですね――――………あの岬にまつわる因縁を―――…っ」

今までキョーコに背を向け、台詞を言っていた蓮だったが……振り返った瞬間、息を呑んだ。


「……?っ!!!」
「……っ…こりゃいかん……ストーップ!!そこまでっ!!」

途中で台詞を止めた蓮を訝しげに思った明日香と新開が舞台に意識を戻すと、明日香は声にならない悲鳴を、新開は制止の声を上げた。
少し遅れてそちらに視線を向けた瑠璃子も、その光景に言葉が出ない。

(……な…んで……気づかなかったのよ私は!!わかっていたはずでしょう!?止めない限り続ける子だって事っ!!)


「キョーコちゃん!そこまででいいから!!もう――やめなさい!!」

明日香が激しい自己嫌悪に陥っていたとき、新開が再三止めるよう呼びかけた。
別に、明日香に頼まれたことを実行しているわけではない。彼女に言われていなかったとしても、同じことをしている。


――キョーコは、誰が見ても限界だった。
酷く汗をかき、顔色は真っ青を通り越して真っ白になっている。目も虚ろになり、焦点が合っていない。

それでもまだ正座し続けるキョーコに、新開は舞台に上がりこんでもう一度繰り返す。

「キョーコちゃん!もう終わっていいんだよっ!聞こえるかい!?」
「キョーちゃん!!何か返事してっ」
「――――……いいえ……まだ………終われません……」

どちらの声に反応したのかはわからないが、キョーコは途切れ途切れに言葉を返した。一言呟くだけでも辛いのだろう。

「キョーちゃん!!」
「気持ちはわかるが、どう見ても今の君は普通の状態じゃない」
「監督の言う通りよ!これ以上は――」
「…いいえ…」

明日香の言葉を遮り、キョーコは虚ろな目のまま……言葉を続けた。

「…私は…最後まで…ここを…離れません――――…」


蓮も、新開も、明日香も――誰も、何も言えなかった。
彼らにできたことは、キョーコを見つめることだけ。目を見開き、口を閉じることも忘れている。

瑠璃子もまた、三人と同じ反応をしていた。一つ違うのは、昔の自分を思い出していること。
デビューしてもまだ売れていなかった頃――純粋に歌が好きだった。自分の歌に『誇り』を持っていた。納得いくまで、何度でもやり直しを願い出た。
その頃の気持ちを……今、思い出した。


「…キョーコちゃん…君って子は………本当に……」

「仕事に誇りを持っているんだな――」と続くはずだった新開の言葉は、「――お客様がまだ…居ます………」というキョーコの言葉に消された。
全員の頭に疑問が飛び交う。

「……?(…客…?)」
「???(…客…?なんの事だ……!?)」
「………(客、ねぇ…そういう事……)」

否。一人だけキョーコの言った意味を理解している人間がいた。
だが、そんなことは関係なしに事態は進んでいく。

「…お客様が席を外されない以上……私が、席を外す事は……許されて…ません…」
「???」
「――監督。蓮君を舞台下に」
「え?」
「お願いします」
「……わかった。蓮、降りろ」
「…あ…はい」

明日香の進言に応じる新開と蓮。
この中でキョーコのことを一番知っているのは彼女だ。何か理由があるのだろうと思い、指示の意味を理解しないまま素直に従う。

明日香が頷くのを見て、新開は再びキョーコに声を掛けた。

「…キョーコちゃん。もう、誰も居ないよ……?」


そう言った直後、キョーコの身体が傾いた。
咄嗟に手を伸ばす新開。

「あぁーーーーーっ!!キョーコちゃんしっかりーーー!!医者ぁーー医者だ医者ぁーーー!!!」
「ここに医者はいません。用意するのは担架です。麓の病院まで、誰かに車で運んでもらいましょう。電話もしておいた方がいいですね」
「あ、そうか…………って、何でそんなに冷静なんだ!?一番心配しているのは君だろう!?」
「だからこそ冷静な判断をしているんです!!」

新開は言葉に詰まった。
動揺していて気づかなかったが……明日香の顔色はかなり悪い。さっきまでは普通だったのだから、キョーコの意識が無くなったことが原因だろう。
冷静な態度は、キョーコに一刻も早く適切な処置を施すため、自分の感情を押し殺した結果だったのだ。

「……悪かった」
「いえ……それより、早くあの子を」
「ああ…君も付いて行くか?」
「……………そうしたいところですが、止めておきます。あの子が目を覚ましたとき、私が仕事を放り出して付き添っていたら――自分を責めるでしょうから…」
「……そうか」





「…社さん…彼女を……」
「…わかった」

新開と明日香から離れていた蓮だが、二人の様子から会話の内容を理解し、社にキョーコのことを頼んだ。社にも異存はなく、快く了承する。
社は二人の傍まで歩み寄り、「あの…」と声を掛けた。

「俺がキョーコちゃんに付き添います。撮影中は仕事がありませんから」
「っ……ありがとうございます、社さん……キョーちゃんを…お願いします」
「はい」


担架で運ばれていくキョーコとそれに付いて行く社の姿を見送りながら、明日香は蓮に微笑みかけた。

「蓮君も…ありがとう」
「……俺は何も」
「社さんに頼んでくれたんでしょう?」
「…………引き受けてくれたのは社さんです」
「それでも……やっぱり『ありがとう』…よ」





――そう言ったときの彼女は、キョーコ以外には滅多に見せない優しい微笑みを浮かべていた。











根性演技、終了ですv
――このシーン、スッッッゴく好きなんですけど……
表現しきれない自分の無能さが恨めしい……i|||i_| ̄|○i|||i



-△-