それぞれの考え





明日香が去った後、

「――さて。早速だけど、足、診せてくれるかな?」

社は持ってきた救急箱を軽く持ち上げ、そう申告した。
魂が半分抜けかけていたキョーコは、その声にハッとする。

「え!?……足、ですか?」
「ケガしてるでしょ?包帯で巻くくらいしかできないけど、一応ね」
「あ……じゃあ、お願いします」
「それじゃ、ちょっと失礼するよ」

キョーコの許可を得て、社は箱から取り出した湿布と包帯で固定していく。ふと、「飛鳥さん、骨の2、3本って言ってたけど…別に折れてはいないんじゃないか?」という考えが頭を過ぎったりもしたが、すぐに片隅へと追いやった。


「…よし、これでまず応急手当てはOK…」
「……あ…ありがとうございます……えと…」

キョーコは礼を言おうとしたが、そのときになって彼の名前を聞いていなかったことに気づく。
今更聞くのも失礼かと思い言いよどんでいると、社の方がそれに気づき、人当たりの良い笑みを向けて「社だよ」と名乗ってくれた。

「ヤシロさん……あ、私は最上キョーコです。手当て、本当にありがとうございました。ところで、ヤシロさんは何をされてる方なんですか?」
「俺?俺は蓮のマネージャーだよ。君の手当てもアイツに頼まれたんだ」
「そうなんですか!?(敦賀さん…機嫌悪くしてたんじゃなかったの!?)」
「そうだよ。それにしても……俺には素直にお礼を言ってくれるんだ」

社は面白そうに笑う。
何となく恥ずかしくなり、キョーコは顔を紅く染めた。

「……っ……だって……敦賀蓮(あのひと)、私にはスゴクいぢ悪なんです……っ!あの人が私を素直にさせないんです!!」
「ん〜〜〜〜…
おかしいね〜〜〜…アイツ、基本的に誰に対しても友好的なはずなんだけど……あ。

キョーコの言葉と普段の蓮を照らし合わせ、つい口に出してしまったがそれは失敗だった。明らかに気分を害している。
社は焦ってフォローを入れる。

「でもほらっ、俺も実はまだ蓮(アイツ)の性格つかみきれてないからっ(俺も、絶対アイツは人に見せられない一面を隠し持っていると…………っ)」
…いいんです……そんな万人に友好的な人にも、生理的に受けつけない人間っていると思うし…」
(『いい』って表情してないよ、キョーコちゃん…)
……でも、俺でもこれだけは言える…仕事が関わると蓮(アイツ)は容赦なく厳しくなるんだよ。自分にも、他人にもね」
「……」
「まあ、それは飛鳥さんにも言えることだけどね。あの人も、普段は誰にでも優しいんだけど、仕事に対するこだわりは蓮並だからな〜〜…」
「――明日香ちゃんが?」
「……へ?飛鳥『ちゃん』?」


思わぬところで出てきた名前に、キョーコはとっさに反応を示した。
だが、その反応は社にとって意表をついたものだった。

「キョーコちゃん…飛鳥さんのこと知ってるの?そういえば、さっきも一緒に話してたよね?」
「え?ええ、知ってます」
「へぇ……君は入ったばかりだから、この業界で知り合った、ってことはないよね?」
「確かにこの業界で知り合ったわけじゃないですけど…」
「やっぱり?じゃあ、彼女の過去とか知ってるんだ?」
「…まぁ…」
「そっかぁ……なら、気をつけないとね」
「……は?」

いきなり言われた「気をつけろ」という言葉に、キョーコは怪訝な声を上げた。今の流れで、どうしてそういう言葉が出てくるのだろうか……?
キョーコの疑問に答えるべく、社は言葉を続けた。

「彼女、デビュー前の経歴とか謎なんだよ」
「謎、ですか……?」
「うん。誰に聞かれても軽くかわしてるらしいよ?本名すら誰も知らないし。新開監督――あ、この映画の監督だけど、彼とはわりと仲良くしてるみたいだけどさ。その監督も本名は知らないんじゃないかな。
だからさ、彼女の過去を知ってる人物ってスクープ記者の餌食になると思うよ?――いや…彼女のファンは多いから、スタッフにバレても質問攻めになるかもしれないな」
(げ!それはイヤ!!)そ、そうなんですか…なら、知らないフリをしていた方がいいですね」
「そうだねー、どういう知り合いかは知らないけど、少なくとも皆の前ではその方がいいかもね。
それに飛鳥さんは今注目の脚本家だから、役者の中にはコネをつけようと君に近寄ってくる人間もいるかもしれないし」
「絶対に知らないフリをします。」

言い切るキョーコに、社は目をぱちくりさせる。この業界で生きていくつもりなら、彼女にとっても「飛鳥碧」とのつながりは有効に使えるのだが……

(そりゃあ、自己アピールとかならともかく、コネを使うのはあまり感心できないけどね……面白い子だなぁ)

それが社の感想だった。


一方、キョーコは根っからの礼儀の正しさから「コネを使う」という考えが全くない。しかも、いざ知らないフリをしたときの明日香の反応までは考えが及んでいない。
それより、彼女は他のことが気になっていた。

「あのぉ……社さん?社さんは私に訊かないんですか?明日香ちゃ――飛鳥さんのこと」
「ん〜〜〜別にいいかな〜。飛鳥さんとは少ししか話したことないけど、いい人だと思うしね。彼女が言いたくないことなら、俺に訊く権利はないよ」
「……社さんっていい人ですね!」
「そうかな?でも、その褒め言葉は有り難く頂戴するよ。
――…さて、それじゃあそろそろ病院行ってみようか」

話が逸れて病院に連れて行くことを忘れていた社は、そう切り出した。しかし、キョーコにとっては寝耳に水だったようだ。

「え!?これで終わりじゃないんですか!?」
「それは応急手当てだから……ちゃんとお医者さんにみてもらった方がいいよ」
「…病院って……往復で一時間越えるんじゃ…しかも車で」
「越えるかもね」
「……私、いいです。テーピングでカッチリ固めてもらったから、だいぶ楽になったし。それに――私には使命がありますから……!!

病院に連れて行かなくては、と思っていた社だが、キョーコの陶酔しきった様子に何も言えなくなってしまう。



そして結局、二人は撮影現場へと向かうことになったのだった。







一方撮影現場では、明日香に続いて蓮にまで「待ちくたびれた」と言われ、気分を害していなくなってしまった瑠璃子と入れ替えに明日香が到着していた。


ここに来るまで、彼女は色々なことを考えていた。松太郎への怒りはもちろん、京都から離れなければ良かったとか、約束が違うとか、キョーコのケガは大丈夫だろうかとか。
キョーコとの再会を含め、全てが突然のことで明日香は混乱していた。

(今考えても、整理できないわね……とにかく今日の撮影が済んだ後、じっくり考えよう…)


今は仕事に集中しようと現場に来たのだが……

「……あれ?瑠璃子ちゃんは?」

どこを見ても彼女の姿はない。
漏らした声に気づいた新開が、おいでおいで、と手招いた。

「新開さん、瑠璃子ちゃんは?」
「それがねェ……」


事のあらましを聞き終わった明日香は、ほとほと呆れていた。

「まったく……小さな子供じゃないんだから…」
「まあまあ。それは承知の上だろう?
それより君の方はどうだった?彼女と話せたか?」
「ええ、話せました。(話途中で呼ばれましたけど)」
「そうか。で?君の知り合いだったか?」

尋ねてくる新開はとても興味深そうだった。隣にいる蓮も多少なりの興味はあるらしく、視線をこちらに向けている。

「ばっちり知り合いでした。何せ八年振りだったので、彼女の方は私に気づいていなかったみたいですけど」

そう言って苦笑する明日香に、新開は更に質問を続ける。

「それでどうするんだ?」
「どうって……ああ、私達が知り合いだってことを周りに隠すかどうか、ですか?私としては隠す必要ないんですけどね。たとえ知り合いでも、仕事に私情は挟みませんから」
「それはよく知ってるけどなぁ……あの子、瑠璃の仕事を引き受けているだろ。余計な波風立たせないためにも、黙っていた方が良くないか?」
「波風?」
「俺もだけど、碧ちゃん、この仕事の間瑠璃に厳しく接するだろ?」
「当然です。真面目に取り組まない限り吐けるだけの毒を吐きます
「だろ?でさ、碧ちゃんの知り合いってだけで、瑠璃がキョーコちゃんに八つ当たりするかもしれないし、やっぱり黙ってたら?」
「ふふv もしそんな愚かしいマネしやがったらその場で成敗しますけどねv
一応、ご忠告を聞いておきます。ただでさえこの業界はドロドロしてますからね。あの子に嫌な思いをさせたくないですし」

明日香も、いま自分が置かれている立場はわかっている。キョーコが芸能界に入ったのなら、自分との関係は彼女にとってあまり良いものではない。

「この業界に入ってからの知り合い、ってことにしておきますよ。新開さんも蓮君もそういうことにしておいてくださいね?」
「わかった。
――さて。話も済んだことだし、瑠璃が戻ってくるまでどうする?」
「そうですね〜…ワンパターンであれですけど、ティータイムにしましょうか?」
「お、いいね〜♪」
「それじゃ、そこにあるセットをお借りしますよ。蓮君はどうする?」
「俺はいいです。お二人でどうぞ」
「わかったわ」


誰一人「瑠璃子を探しに行く」という選択を持っていないようである。
苦笑する蓮の隣で、明日香と新開は本日2回目のティータイムを楽しむことにした。











やっとここまで……次でようやく撮影に入れます。
今回は、二人の関係を知らせない理由とか書くための話ですね。キョーコちゃんはともかく、明日香さんはボロを出しそうですけど(笑)

これからの描写は「明日香」で統一します。めんどくさいことしてスミマセン……



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