波瀾の予兆





蓮が角から不安げに覗き見している瑠璃子の元へと向かったと同時に、宝田一味その3――もとい、明日香は苦虫を噛み潰したような表情で救急箱片手に戻って来た。その彼女に、新開は(珍しくも)遠慮気味に声をかける。

「悪いね、碧ちゃん」
「その謝罪はこの勝負を認めたことに対してですか?それとも――あの子を利用することに対して?」
「……やっぱり気づいてたか」
「当然です。(きっぱり)
身の程知らずに対して今日何度目かの殺意を抱いたとき「はいそこ物騒な単語は控えて〜」……わかりました。誰とは言いませんがゴミ箱にかなぐり捨てたいくらいどうでもいい理由で遅れてきた上に勘違いも甚だしいっていうかどこで学んだんだ学び直して来い的なプロ意識を口にした本来磨くべき歌唱力ではなく付属の身体的特徴にこだわるんなら今の職業辞めて化粧品会社のモデルにでもなりやがれって感じの子が私の愛するキョーちゃん突き飛ばしやがった挙句に縫いとめてやろうかこの野郎的暴言を吐いたとき、腹に一物抱えてそうな表情でキョーちゃんのことを見てたでしょう?その表情とさっきの提案を結びつければ簡単に推測できます」
「(『腹に一物』って……君が言うか?)へェ…頭に血が上っていたみたいなのに、よく見てたな」
「私の中のブラック探知機が働きましたから」
「なるほど。」

新開は苦笑して自分の隣に座るよう勧めると、明日香は大人しくそれに従い、箱を目の前のテーブルに置いた。


「それならどうしてそんな嫌そうな表情をしながらも、何も言わずにキョーコちゃんを見送ったんだ?彼女にチャンスがあるならともかく、アテ馬にされるってわかってて」
「……確かに、ただでさえケガを負っているキョーちゃんを利用されるのは気を引き締めないと思わずセットに拳を叩き込みそうなくらい嫌ですけど、私はただの脚本家ですよ?監督がお決めになったことに口を出せる立場じゃ」
「はいはい、建前はいいから。正しいと思わないことを黙って見過ごすような性格じゃないだろ、君は」
「(……別に建前じゃないし、これでも一応立場はわきまえているんですけど。たとえ気に入らなくても蹴倒したくても、それが仕事ならできるだけ我慢してきたし)
……それは褒め言葉として受け取っても?」
「もちろん♪
――で?その性格の君が、随分と大事にしているらしいキョーコちゃんを利用されることに何も言わなかった理由は?」

探るような眼差しを向ける新開に、明日香は盛大な溜息をつく。

「黙秘権を行使します」
「ダメ〜〜〜」
「ならそれを却下しますねv」(にっこりv)

子供みたいに拒否する監督・34歳と、それを笑顔で切り捨てる脚本家・23歳。
どちらも譲る気がないようだ。


白い人(スタッフ)達には見えない黒オーラが二人の間に立ち上り始めた時――

「監督っ。キョーコちゃんの準備ができましたっ」
「お、そーか」

キョーコのメイクをするために離れていた女性が戻って来た。その後ろには蓮と瑠璃子の姿もある。

まだ納得できない部分が大いにあったが、ただでさえ進んでいない撮影をこれ以上遅らせるわけにもいかず、新開は仕方なく会話を打ち切って立ち上がった。
続いて立ち上がる明日香。彼女の顔つきはまた不機嫌なものに戻っている。


メイクの女性は少し戸惑いながら、二人に聞こえる程度の声で囁いた。

「即興でメイクと着つけしたわりにはいいデキだと…」
「ほぉ…どれどれ。――…ん?どうしたんだ?瑠璃。ずいぶん顔色が悪いぞ」

不思議そうに声をかける新開を素通りし、さらに絶対零度の冷ややかな眼差しを向ける明日香も素通りした瑠璃子は、完全に自分の世界に入っているようだった。
その様子に二人が怪訝な表情をしていると、これまた少し様子のおかしい蓮が躊躇いがちに言葉をつむいだ。

「…化けました…………予想外です…」
「……化ける?」
「『予想外』って……失礼な。

ますますきょとんとする新開とは反対に、明日香は蓮の言葉にますます機嫌を悪化させる。
そんな二人にはお構いなしに、スタッフの間から動揺とざわめきが上がった。その中心であり蓮の視線の先でもある場所に目を向けたとき、飛び込んできたのは――





気品溢れる立ち姿。文句のつけようのない着こなし。凛とした容姿。
どこから見ても立派な「旧家のお嬢様」が、静かに佇んでいた……





あまりのことに声も出せず見入る新開の隣からものスゴイ勢いでキョーコに駆け寄った明日香は、肩を震わせつつキョーコの手をガッシリと掴んだ。

「な、何……っ!?」
「……キョーちゃん」
「はいっ」
「すっっっっっごくキレイよっvv あまりの感動に心の葛藤が吹き飛んだわっv」

先程までの不機嫌はどこへやら。すっかり上機嫌になった彼女は周りのスタッフがのぼせそうな笑顔を振り撒いていた。

「ありがとう明日香ちゃんv 少しだけ明日香ちゃんに近づけた気分だわ〜〜v」
「何言ってるの!私程度の容姿はゴロゴロいるわよ!」

いないって。


その場にいた誰もがそうツッ込んだ。
しかし、盛り上がっている二人に声をかけられる人間は誰一人としていない――と思われたが、負け犬の遠吠えならできる人間がいた。

「〜〜〜〜〜……ふ…っふん!!外見なんか腕のいいメイクにかかれば誰だってたいがい良く見えるわっ!いいわねェ、あなた。元が並なだけに化粧映えして、まるで別人に変身できるんだもの」

そう悪態をつく瑠璃子にキョーコは瞳を輝かせながら、

「本当本当!!そのとーりっ。私、今まるで魔法にかかったシンデレラ気分なのよ〜〜〜〜v メイクさんって魔法使いね!!」
「〜〜〜〜っ〜〜〜〜っっ(私はイヤミを言ってるのよーーー!!本気で喜ぶな!!)」

思ったような効果がなく、怒りに震える瑠璃子に明日香のトドメの一言が。

「同じメイクさんにしてもらっていながらその程度の貴女がそれを言うワケ……?素直に認めることもできないなんて、見苦しいわね」
「〜〜っ私は『元が並』じゃないからよ!」
「…………ハッ」(嘲笑)
「〜〜〜〜っ」

瑠璃子は見事な青筋を浮かべたが、彼女の目から見ても薄化粧で十分に美女である明日香には何も言い返すことができなかった。
とは言っても、明日香は別に自分の容姿を自慢しているわけではない。そもそも、彼女は自分の容姿が並外れていることに気づいていないのだ。瑠璃子の神経を逆撫でる言葉を吐いただけである。


一触即発の状態で睨み合っていたため、明日香は妄想の世界へとトリップしたキョーコの言葉を聞いていなかった。もし聞いていたなら滝のように涙を流しながらキョーコを抱きしめ、その原因と思われる男に呪いをかけていたことだろう。


明日香の眼光に負け、瑠璃子は意識をキョーコに向けたが……

「…それもこれも、みんなみんな瑠璃子ちゃんがわがままで傲慢で傍若無人なおかげよ…!!ありがとう……!!」
「……あんた…私にケンカ売ってるわね…」

キョーコからも癇に障る言葉を投げかけられる。
ますます怒気を帯びていく瑠璃子とは逆に、キョーコはにっこりと微笑んだ。

「…だって、瑠璃子ちゃん。私…もっと幸せになりたいの――――貴女に勝って」(カッ)
「っ!?」

ガラリと変わったキョーコの雰囲気に、瑠璃子も心を決めざるを得なくなる。

「だっ誰があんたみたいなハイエナ部員に………!!この仕事は私のよ!!」





――このとき、ほくそ笑む新開と憮然とした明日香に気づいたのは、蓮ただ一人であった。









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明日香さんの毒が飛び交う話となりました(爆)
ちなみに「ブラック探知機」は腹黒思考はもちろんのこと、怨キョのような憎悪も探知できますv

明日香さんも黒いので、新開監督の企みに逸早く気づいていた、という設定です。それを許した理由はいつか出てきます。



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