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<美女と野獣>

ボーモン夫人による童話。
森で迷い、寒さと飢えで行き倒れ寸前だった商人は、森の中の城で雨風をしのぎ、豪華な食事によって一命をとりとめる。商人は家へ帰る際に、娘ベルのために1本のバラを城から持ち帰ろうとする。そのとき城の領主である野獣が現れ、大切な薔薇を折った罪として、死をもって償うか娘を差し出してもらうと商人に言う。
3ヶ月の有余と引き換えの箱いっぱいの金貨を持ち帰った父親の代わりに、親孝行であるベルは野獣の城で暮らすことになる。最初は野獣のその容姿の醜さから恐れ、野獣の求婚を断るベルであったが、野獣の紳士的な態度と内にあるその優しさと愛から、野獣に恋をする。
野獣の優しさから一度家に帰ったベルだが、野獣が心配で城に戻り、野獣と結婚して一生彼のものになることを誓う。その瞬間に野獣は王子の姿に戻った。実は野獣は、邪な妖精によって野獣の姿に変えられた王子だったのである。そしてその呪いを解く鍵は、結婚への同意であった。
こうして、ベルは王子とお城で幸せに暮らすことになった。

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美女と貴公子 前編






「――…壊れた………よな?」

つい先程まで乗っていた車を前に、眼鏡をかけた優男は哀愁漂う表情で呟きました。

プスプスと明らかに異常な音を立てている上に、モクモクと普通なら出てこない煙を立ち上らせている車は、誰がどう見ても壊れています。そして、ここは『用事があれば通る』程度にしか往来のない森の中の道で、街からも絶妙に離れた場所です。
前を見ても後ろを見ても、優男と廃車確実の物体以外は何も見えません。ここから動けなくなった彼が途方に暮れるのも仕方ないでしょう。

「ど、どうしよう…………携帯――は修理に出してるし……誰かに拾ってもらう――はいつになるかわからないし………………仕方ない、歩いて帰るか…」

考えるだけでも挫折しそうな距離ですが、このまま立ち往生していても事態は好転しません。
深い溜息を吐いた後、優男は街に向かって歩き始めました。








トボトボ歩くこと約二時間。
優男は再び途方に暮れていました。

――というか、自分の犯した失態に打ち拉がれていました。

「…………………………………………ま…………………………迷った………………(涙)」

齢25にもなって迷子です。
しかも森の中とはいえ、『深い森の中』でも『霧立ち込める中』でもない、十人いれば十人が「どうやったら迷えるんだ…?」と首を捻るであろう月明かりのある一本道で迷子です。


これでショックを受けていなかったらある意味大物ですね。


(一応)普通の神経の持ち主である優男は、崩れ落ちそうになる体を必死で留めながら辺りを見回しました。

「………………見事に何もない…………どっちから来たのかもわからなくなったし……」
「――ねぇ、そこのあなた」
「このまま遭難したらキョーコちゃんもマリアちゃんも心配するだろうな……それでなくても帰宅時間、とっくに過ぎて…る……のに……………………………………うわっ、どうしよう!?」
「だから、ねぇってば」
「ヤバい…ヤバいぞこれは!!あの子達のことだから取り乱したりはしないだろうけど、絶対心配してるし!いや、心配してくれるのは嬉しいけどさ!心配していればしているほど、運良く帰れたときが怖い…っ!!」
「……………」
「『よく使ってたからいつの間にかゴム手袋が薄くなってて、車壊しちゃった』なんて言ったら、キョーコちゃんに『――…社さん……あなた、散々人に心配させておいて、原因がソレですか……しかも、携帯に引き続き車まで?車がいくらするか知ってますよねェ…?とか土下座して謝りますから勘弁してくださいってオーラを漂わせながら言われそう――いいや、絶対言われるね!!」
「……………………」(ピキ)
「それだけじゃない!『歩いて帰ろうとしたら、何故か一本道で迷っちゃった』なんて言おうものなら、マリアちゃんに『社さんったら、いい年して道に迷うなんてオチャメねvv ――それで?ブードゥー人形と人型キャンドル、どっちがいい?って、二度と迷わないように願掛けするためなのかそれ以外の目的のためなのか判断できないことを言われるんだよ!!」
「…………………………」(スゥ・・・)
「わかってる!わかってるさ、俺が悪いってことくらい!!でも怖いんだ!!!あの二人の怨ね――」

「ねぇって言ってるでしょーーーーーーーっ!!!!(怒)」

「×%▲◇#※★∂□っ!!??」(キィ・・・ン・・)

自分の世界にどっぷり嵌りこんでいた優男は、突然耳元で放たれた大声量に意味不明な悲鳴をあげました。
「み、耳より頭が痛い…」と思いつつも右耳(←こちらから音が入ってきたので)を押さえ、涙目で後ろを振り返ると――そこには、腰まである漆黒の髪を呆れ半分怒り半分の表情で掻き上げている麗しいメイドさんがいたのです。

「――…なんでこんな所にメイドさん?」
「っ…そんな事はどうでもいいでしょ!?大体、普通は怒鳴られた事に対して何か言わない!?」


『突然怒鳴られた事』より『何もない森の中にいるメイド』を気にする方が『普通』です。


しかし、そこは優男。風貌だけでなく心根まで優しい彼は「ああ…触れて欲しくないんだな…」と考え、何も言わずに怒鳴られた理由を尋ねました。
メイドさんは明らかにホッとしています。(そんなに訊かれたくないならメイド姿で出歩かなければいいような気もしますが……彼女も、まさかこんな所で人に会うとは思わなかったのでしょうね)

「何度も声を掛けたのに全然気づいてくれなかったから、ああすれば流石に気づくかな?って思って」
「…………ああ…うん………………バッチリだったよ……」(遠い目)
「(スルー)改めて訊くけど、あなたはどうしてこんな所に――って、それはさっきの独り言で大体わかったわ。それで、これからどう…………………なんで泣くのよ…」

メイドさんの話を聞いているうちに、優男は自分の犯した失態やら待ち受けている未来やらを思い出してしまったようです。さめざめと泣き始めました。
そんな彼に、メイドさんは沈痛な面持ちで「――…良かったらだけど…」と切り出しました。









「…………随分ト趣ノアル屋敷デスネ?」
「正直に言っていいわよ……『派手だ』って」


距離や時間帯を考慮した結果、二人はメイドさんが仕えている屋敷に向かうことになりました。
その道中に、二人は軽い自己紹介を済ませています。優男の名は社倖一。『Love Me』という何でも屋をしており、二人の従姉妹と一緒に暮らしているとのことです。メイドさんの名は琴南奏江。20人を超える大(マンモス)家族を養うため、然る富豪に雇われているのだそうです。

どうやらお互い、家族に不満は無いが苦労は非常に有るという点で気があったらしく、随分と打ち解けながら歩いていたのですが――屋敷に着いた途端、二人の間に微妙な空気が流れ始めました。
辿り着いた屋敷を見た瞬間、優男は引き攣った笑顔を浮かべ、メイドさんは目を逸らしたのです。


一体おいくらですかと訊くのも恐ろしい、やたらと豪華で煌びやかな建物。
どこまであるんだよとツッコミたくなるくらい広い敷地を埋め尽くす、色鮮やかな花々。


普通とはスケールの違う屋敷を目の当たりにした場合、彼らの反応は『全く無関係な第三者』と『不本意ながらの当事者』の反応として、ごく当たり前のものでしょう。
それだけスゴイ屋敷でした。

「今更だけど…………琴南さんの雇い主に会うのが怖くなってきた……」
「……大丈夫よ。今この屋敷に住んでいるのは、雇い主の息子さんだけだから」
「えっ?そうなの!?(良かった…っ)」
押し隠そうとして隠し切れていない喜びを感じてもらっているトコロに水を差すようだけど……息子さんは雇い主と違う意味で厄介よ……」


「誰が厄介だって?」


「「っっっっっっっっ!!??」」

まだ門の外なのに背後から声を掛けられた二人は、声にならない悲鳴をあげました。
優男は純粋に驚きで。メイドさんは色んな意味で。

二人は同時に、まるでブリキ人形のようなぎこちなさで背後を振り返りました。
――その先に居たのは、異性はもちろん、同性から見ても魅力的な笑顔を浮かべた貴公子。彼の人にこの笑顔で甘い言葉を掛けられたなら、老若男女問わず陥落することでしょう。


彼の背後で吹き荒れるブリザードに気づかなければ。


「家から抜け出して束の間の安らぎを感じて帰って来てみれば……厄介者扱い、ねぇ…?」
「い、いや、あの………………………………はっ!そうだったわ!!ちょっと敦賀さん!あれだけ毎日言っているでしょう!?『脱走しないで』って!!この無駄に広い土地内を探し回ったじゃない!(怒)」
「父は俺が脱走したからって君の給料を下げたりはしないよ」
「そんなことはわかってるわ!むしろ『いつも苦労をかけるなぁ…』って、正規のお給料に苦労費を上乗せしていただいてますから!!!」
「じゃあ、気にせず寛いでいればいいじゃないか」
「私だって一日数時間くらいなら気にしないわよ!でもねェ…っ!雇い主の家で雇われの身の私がほぼ一日中一人優雅に寛げるわけないでしょーーーーーーーーーーっ!!(怒) どこが『束の間』なのよ!?」
「そう言われても…散歩はペナルティのせいで土地の外には出て行けない俺の、唯一の楽しみなんだよ?」
「散歩なら数時間で帰ってきなさい!!!(怒)」

「――…あのぉ………色々と忙しいところ申し訳ないんだけど……」

突然始まり、いつまでも終わりそうにない口論を果敢にも止めた のは、貴公子の登場からずっと蚊帳の外に放り出されていた優男でした。
メイドさんに悪いと思いつつも、このまま全てをなかったことにして一人引き返そうかとも考えていたのですが……一本道で迷った彼がここから一人で帰れるはずありません。そこで仕方なく、心底仕方なく声を掛けたのでした。

一方、優男の存在を完全に忘れ去っていた二人。メイドさんは詫びるような、貴公子は訝しげな視線を優男に向けています。
「視線が痛いなー」と、もはや開き直った感想を抱きながら、優男は言葉を続けました。

「……電話、借りていい?」








貴公子は快く屋敷の電話を貸してくれました。
優男が掛けた先は、もちろん家で待っている従姉妹達です。予想通り、彼女達はいつまでも帰ってこない彼を大変心配していました。即行で受話器が取られた瞬間、「俺って幸せ者かも…」と思わず感動してしまったくらいです。

直後、「……やっぱり不幸かも」――と思い直しましたが。

これまた彼の予想通り、車のことやら失態のことやらを告げた後の彼女達は電話越しでもわかる黒いオーラを放ち始めたのです。優男は相手に見えるわけでもないのにその場で土下座して謝りました
優男が常識外れの機械クラッシャーだったことに驚き、また、迷子になった事実に同情の眼差しを向けていたメイドさんと貴公子の視線が益々哀れみを帯びたことは言うまでもありません。


「…………はぁ〜〜〜〜〜……電話、ありがとう」
「いえ、別に……それより、大丈夫ですか?」

苦笑しながらお礼を言う優男に、貴公子は思わず尋ねてしまいました。メイドさんも心配そうにしています。
疲労困憊しつつも電話を終えた彼が、心なし痩せたように見えたのです。

「ああ、うん。大丈夫。慣れてるから
「「…………………………」」
「ところで、本当に良いのかな?一晩お世話になって」
「え、ええ、それはもちろん。部屋なら邪魔なくらい有り余ってますから」
「――と、ここの主が言ってるんだから大丈夫よ。食事はデリバリーで申し訳ないけど」

メイドのいる家にデリバリー。
どう考えても不可思議な事実ですが、当人達が気にしていないようなので優男も深く考えないことにして、「いや、全然」と受け答えました。





――この時点では、誰も予想だにしなかったでしょう。
『優男の機械クラッシャー体質』と『料理のできないメイドさん』が、ある二人の運命を変えてしまうことを。





優男と入れ替わるように受話器を手にしたメイドさんは、いつもの所に食事を頼もうと電話を掛けました――が、何故か掛かりません。というか、ボタンの音もしなかったような気が。

「……おかしいわね」
「え?」
「電話が掛からないのよ」
「…………………………………………え゛?

優男の顔が青褪めました。彼はそぉっと自分の手を見て――

「……しまったぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁっっ!!!!」

と叫び声を上げました。
それに驚いた貴公子とメイドさんが優男に視線を向けると、彼は二人に向かって再び土下座しました

「ど、どうしたんです!?」
「ごめん!!!いや、謝って済む問題じゃないけど!家の電話は特殊加工してるから、ついゴム手袋のことを忘れてて…………素手で電話してました!!!」
「…………それが何か?」
「――素手で電話した場合、その電話は10秒以内にご臨終します……」
「「…………………………」」

どうやら先ほど従姉妹達に電話した際、固定電話ということでウッカリ普段通り素手で受話器に触れてしまい、その結果この家の電話を壊してしまったようです。
彼女達との会話中に壊れなかったのは、回線を通じて纏わり付いていた何かのおかげでしょう。

「本当にゴメン!!お詫びにもならないけど、俺にできる料理でよければ作るから!もちろん、電話の修理代も払うし!!」
「修理代のことは別に気にしなくていいですよ。この無駄に装飾に凝った電話、そろそろ買い換えようと思っていたので。食事を作ってくれるという申し出も嬉しいんですけど――」
「この家にある食べ物って、お米とアルコールだけなの。私、掃除・洗濯が役目だったから料理は全くできなくて…さすがにご飯くらいは炊けるけど」
「俺は元々食に関心がないし、琴南さんも一日くらいならご飯だけで大丈夫だよね?」
「ええ。だからあまり気にしなくていいわよ、社さん」

確かにこの電話には驚いたとかお米とアルコールだけってさすがにマズくないか?むしろアルコールは食べ物か?とか、色々と脳裏を過ぎりましたが……それを口にできる立場ではありません。そっと胸の奥に仕舞い込みます。
優男は申し訳ない気持ちを抱きながらも、素直に二人の言葉を受け取ることにしました。



……余談ですが、その日の夕食は本当に白いご飯だけだったそうです。








翌日の朝食も白ご飯だけで済ませた三人は、門前に立っていました。
優男の従姉妹達が車の所まで迎えに来てくれるので、メイドさんがそこまで送り届けることになったのです。

「本当に世話になったね。もし何かあったら言ってくれ。何でも屋としてでも友人としてでも引き受けるから!」
「そうですね、そのときは頼みます」

笑顔でそんな会話をする二人に、メイドさんは苦笑いを浮かべました。
昨晩、優男が受けてきた仕事の話や貴公子が知る著名人の裏話などで盛り上がり、二人の間には一晩で友情が生まれたようです。(彼女は美容のため、早々に寝ました)

「社さん、これを従姉妹方へのお土産にして下さい」

そう言って、貴公子は紙袋を優男に手渡しました。優男は「え!?」と目を見開いています。

「『二人とも家計を気にして好きなものを買わない』と言っていたでしょう?時間がなかったので大したものは用意できませんでしたが――アンティークが好きな方には置き時計とオルゴールを、メルヘンなものが好きな方には光加減で色の変わる石をどうぞ」
「ちょっ…気持ちは嬉しいけど、そんなの貰うわけにはいかないよ!お世話になった上に物を頂くなんて!!」
「いいんですよ。ここにあったって、誰も使わない物なんですから。………まぁ、石の方はちょっと気に入っていたんですけどね。話を聞く限り、そのお嬢さんの方が俺より大切にしそうだし」
「でも…っ」
「贈る側の俺としては、遠慮されるより受け取ってもらえる方が嬉しいんですけど。どうしても気になるって言うなら、今度三人で遊びに来てくれればそれでいいですよ。俺はここから動けなくて暇なので」
「………………そっか……そうだな。これ、ありがとう。絶対に皆で遊びに来るから……またな」
「ええ…また」


――こうして、優男は貴公子に別れを告げ、メイドさんと森を抜けました。













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